2009 APRA日本区 総会
「総会と菅谷松本市長の記念講演」
■2009.1.29 東京 都市センターホテル
1月29日は都市センターホテルにてAPRA日本区の総会と菅谷松本市長による記念講演が開催されました。
●APRA日本区総会

APRA総会、例会では最初に「APRAの理念」を唱和します。
●「私たちの願い」
私たちの願いは
物と戦争の時代から
愛と感動の時代へのシフトです。
●「私たちの参加目的」
私たちAPRAは
愛と感動の経営を実践し
何かで日本一、世界一に成るために
切磋琢磨する事業家集団です。
●「人本主義」
財を遺すは下
事業を遺すは中
人を遺すは上なり
されど財なくんば事業保ち難く
事業なくんば人育ち難し
●「大家族主義」宣言
お客様を親友のように
同僚を家族のように

総会は以下の流れで開催されました。
(1)APRA理念の唱和
(2)猪股会長挨拶
(3)角田議長挨拶&ミニ講話
(4)新入会員紹介&出席者全員挨拶
(5)日本区2008年度会計報告
(6)日本区2008年度活動報告
(7)各地区2008年度会計報告&活動報告
(8)2009年度役員&事務局構成
(9)2009年度の本部指針&スローガン
(10)APRAの今後の運営目標
(11)日本区2009年度活動計画
(12)各地区2009年度活動計画
(13)その他、議題
(14)今後のスケジュールの確認
「APRAの理念と2009年度の本部指針&スローガン」は以下の通りです。
・2009年度スローガン
「今こそ、明るくイノベーション」
・2009年度基本方針
1.人本主義を柱とした、第4の経済団体「昼間の星座」確立に向けてのキックオフ~
①拝金主義から人本主義への「幸福感ルネッサンス」のとき
②5年間を革新の時にして、2020年ビジョン「世界一幸せな国」実現に向けての飛躍を図る。
2.「昼間の星」になるための3つの革新の幕開け!
「トップの革新」「カンパニーの革新」「アライアンスの革新」
APRAホームページはコチラ
●菅谷松本市長の記念講演
菅谷昭様の略歴(HPより引用)
昭和18年 11月22日、長野県更埴市(現千曲市)で生まれる
昭和43年 信州大学医学部卒業、聖路加国際病院にて研修
昭和46年 信州大学医学部第二外科学教室入局
昭和51年 トロント大学(カナダ)留学(甲状腺疾患の基礎研究)
平成5年 信州大学医学部第二外科助教授昇任、(平成3年より)松本市のNGOグループによるチェルノブイリ原発事故の医療支援活動に参加、汚染地域における小児甲状腺検診をはじめとして現地にて支援活動を継続
平成8年 ベラルーシ共和国に渡り、首都ミンスクの国立甲状腺がんセンターにて小児甲状腺がんの外科治療を中心に、医療支援活動に従事
平成11年 高度汚染州ゴメリに移り、州立がんセンターで医療支援活動
平成13年 ベラルーシ共和国での5年半に及ぶ長期滞在を終え帰国。長野県衛生部医監として就任
平成14年 長野県衛生部長就任
平成16年 長野県衛生部長退職
3月 松本市長就任
現在64歳
松本市蟻ヶ崎在住(松本市在住は46年)
家族は妻と長男
* フランシスコ・スカリナー勲章(ベラルーシ共和国国家最高勲章 2000年)
* 医療功労者賞(読売新聞社主催 2000年)
* 吉川英治文化賞(吉川英治国民文化振興会主催 2001年)
講演の概要
講演テーマ:感動の旅~真っ当な生き方を貫いて~
1.千曲市という田舎で野球に明け暮れていた少年が、小都市 松本へ出て、医学部に入学した、母親が「昭は43才で死ぬ」と言われた頃のこと
2.信州大学医学部を卒業し、東京の聖路加国際病院へ研修に行き、そこで日本の恩師:日野原重明先生との出会った頃のこと
3.信州大学医学部へ戻った後、トロント大学へ留学。そこでカナダの恩師と出会い「行動を起こさなければ何も生まれない。敢えて何かをしようとしない人は、何物も受くるに足らない」という言葉を戴いた頃のこと
4.信州大学医学部助教授を退職し、退職金でベラルーシへ。チェルノブイリの原発事故で悲惨な目にあっている方々の支援を自費で行い、それが「プロジェクトX」に取り上げられた頃のこと。
5.ベラルーシから戻り、当時の田中知事から長野県衛生部長への就任を依願され、その定年退職時に市民から市長立候補を頼まれ、当選。2期目を迎えた今のこと。
以上の5つの時代を「感動の旅」として語っていただきました。
以下に臥龍のメルマガから当日の様子を引用します。
●「控えめなカリスマ」
総会に引き続き、記念講演会が開催されました。講師は、松本市長の菅谷昭さま、演題は、「感動の旅:真っ当な生き方を貫いて」でした。約50人の経営者の皆さまに、本当にしみ通るようなお話をしていただきました。
松本の感動旅館、貴祥庵の植田支配人から絶妙のコメントが届きました。
貴祥庵様はコチラ
(ここから)
臥龍さんへ
□控えめなカリスマ
本日はありがとうございました。菅谷市長の講演会は前回のお話より若干バージョンアップしており、気づきとなるポイントも格段に増えました。
もしかすると、前回、私が気づけていなかっただけなのかもしれません。岐路に立つたびに、「患者の目線に立った医療」、「納得して死にたい」
という想いを貫かれ、進路を決めてこられたというお話をおうかがいして、菅谷市長が、市長自身の第一号信者であり、そんな市長に共感する多くの信者たちに支えられながら、これまでの人生経営に成功されてきた方なのだなと思いました。
「控えめなカリスマ」という呼び名がぴったりな方だと思います。
その他にも心に残った言葉を以下まとめてみました。ほとんどのことが臥龍さんの言霊ともリンクしますので、あわせてそれらを書いてみました。
・多くの人は潜在能力を知らずに生きている ⇒ 知命(命を知る)
・行動を起こさなければ何も起きない ⇒ 未来と自分は変えられる
・死から生を考えたとき「納得して死にたい」と思った ⇒ 天命をまっとうする
・自分の生き方を軌道修正するための人生のリストラ ⇒ 第二人生創業
・ブレないことが周りの理解をあつめる ⇒ リーダーシップ
・限りある命の中でそれがどういう意味を持つのか ⇒ 手段の目的化
・これからの街づくりは量より質 ⇒ ビッグよりグッド
・企業には電源が必要 ⇒ 企業には人財が必要
・歴史が評価する街づくり ⇒ 人物は時代が評価する
今日も素晴らしい気付きをありがとうございます!
植田
(ここまで)
植田さん、素晴らしいまとめをありがとうございます。重複を避け、臥龍の気付きをまとめてみます。
■タイプ
ロシアの文豪「ツルゲーネフ」の言葉の引用からお話は始まりました。
ツルーゲーネフはコチラ
人には、「ハムレット型」と「ドンキホーテ型」がある。自分は「ハムレット型」だ。しかしどちらのタイプであろうと、「政は結果」で評価される。自分は、「慎重さを備えた勇気」を持って生きたいと思ってきた。
(臥龍所感)
臥龍は、自分は「ドンキホーテ型」だと思っています。直感で走り、走りながら意味を考えるタイプです。しかし走った回数が増すことにより、以下のような知恵を身に付けてきました。
「直感で走り、未踏の大地にけもの道を拓き、 走りながら意味を考え、意味に共感する方々に道の拡大を委ねる」
■本物の教えに賞味期限はない
・素志「見てもらって良かったと言ってもらえる医師になる」
・聖路加国際病院の優れた臨床医、中でも日野原重明先生の教え
1.医のアート、選ばれる医療者
今は、「市の職員に、市民から選ばれる公務員になりなさい」と伝えている。
2.患者の目線に立った医療
今は、「市民の目線に立った市政」に置き換えている。
(臥龍の所感)
本物の教えは生涯生きるものですね。
「お客さまから選ばれるスタッフになりなさい」「お客さまの目線にたった事業を行う」
まったく一緒ですね。
■「多くの人は自らの潜在能力を知らずに生きている」
この言葉は、市長になってから再会したときに日野原重明先生からいただいた言葉。立ち止まる努力、眠っているDNAを呼びさます努力、自己暗示の大切さを職員にも語っている。新入職員にも、「向いてなければ辞めなさい」と語っている。
(臥龍の所感)
「潜在能力」を知ると、「毎日が火事場のバカ力状態」になるものです。
よく分かりました。臥龍の幸運は、「潜在能力をフルに発揮する生き方に目覚めた」ことです。潜在能力のキャパは550CCでも、アクセル全開の日々です。例え6000CCのキャパを持っていても、サイドブレーキを踏んでいる方、アクセルをチョボチョボしか踏まない方よりも、大事が成せる確率は高いようです。
「普通の人が大事を成すコツ」は、これしかないと思います。
則ち「力の出し惜しみをしない」「日々全力投球」「日々完全燃焼」です。




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