APRA恒例行事
「第13回APRA国際交流会 in 中部②」
■2008.10.31 白川郷~感動経営企業見学~高山市内散策
10月31日は世界遺産白川郷見学の後、感動経営企業見学、高山市内散策、高山グリーンホテルへ投宿というスケジュールでした。
●世界遺産 白川郷 見学




久しぶりに訪れました。観光地化されているとは言え、昭和の匂いがします。
当日の臥龍の感想を以下に抜粋して引用します。
31日の朝から訪れた世界文化遺産の「飛騨白川郷」は、臥龍も初体験でした。散策しながら、確かに「日本のふるさと感」を感じました。
臥龍は、一軒の公開民家「神田家」に入ってみました。
神田家はコチラ
パンフレットに、「古(いにしえ)と同居する」「先人の知恵と暮らす」とありましたが、まさにその通りでした。耐震、防火、雪対策など、いずれも聞けば“なるほど!”と膝を打つ知恵があります。これまたパンフレットの言葉ですあ、素晴らしい名コピーなので転載させていただきます。
「白川郷は今なお、継承と保存と暮らしが同居する呼吸する遺産である」
その後、移動した高山にも、「継承と保存と暮らしが同居するおだやかな雰囲気」を感じます。
高山から感動経営企業見学第四弾の飛騨産業株式会社様に移動する車中でとても美味しいお弁当をいただきました。中部APRAメンバーでもある山一喜一郎様が専務をされている「山一商事株式会社様」の製造されている「飛騨牛まん」です。
山一商事株式会社様はコチラ
山一商事様について臥龍のメルマガから引用します。
移動の車中では、「臥龍本気塾」「企業進化講座」の卒業生であり、かつまたAPRAファミリーでもある山下喜一郎さんの「山一商事」さんのヒット商品「飛騨牛まん」「穴子まん」を赤カブなどの伝統惣菜と共にいただきました。
超おいしかったです!(もっとホームページを工夫したらいいですね。食がいいのにもったいない!)
なお、山一商事の「佳山自燃塾」の一期生の元気な顔が見えたのが、一番の感動でした。やっぱり「人に勝るご馳走」はありませんね。山下さん、「佳山自燃塾」のOB会をしましょうね!そして、「継承と保存と開発が同居する素晴らしい食品会社」を育ててくださいね!
●感動経営企業見学 第四弾 飛騨産業株式会社様
感動経営企業見学第四弾は飛騨産業株式会社様です。飛騨産業様は大正9年の創業で、木製家具の企画・開発・製造及び販売をされています。80年以上の歴史のある会社ですが、近年の家具業界を取り巻く環境は悪化し、さらに地球環境問題でもマイナスイメージが強く、経営は相当苦しい状態で、2001年に岡田社長が就任されました。岡田社長にとって、飛騨産業様は子供の頃から地元の誇りでした。そんな会社の社長になるからには、「命を懸けても惜しくはないな」との思いだったそうです。
飛騨産業様と岡田社長は家具の材料である木は生命あるもの、木を愛する私たちは生命とそれを育む環境を大事にする、とされています。たとえば、これまで廃材とされてきた、木の節を積極的に生かした家具、スギ材の家具などがそういった問題意識から開発されました。接着剤や塗料もすべて、環境に負荷を与えないものを使われています。これらの発案を実際の家具づくりで行うのは大変なことでしたが、何とか実を結び、今では黒字経営に転換されるようになられました。
飛騨産業株式会社様はコチラ



講演中の岡田社長。笑顔がとても素敵な方です。 見学中のAPRAメンバー。
当日の臥龍の感想を以下に抜粋して引用します。
●「素人発想と匠の技の融合」が重要なキーワード
今回の国際交流会では、4社の感動企業見学が予定されていました。そのフィナーレが、「飛騨産業」さんでしたが、フィナーレに相応しい感動と気づきをいただきました。
飛騨産業さんは、創業87年、従業員数270名の高級家具メーカーですが、その「伝統と革新の同居」には、日台メンバー共に、大きな啓発をいただきました。87年の歴史の中で、輸出やバブルなどの追い風で売上高は60億まで行きます。しかし、「変化こそ常道」です。プラザ合意後の円高にアジアからの低価格家具の攻勢、さらにはバブルの崩壊で、売上高は一気に半減します。
倒産の危機です。
そのときに、再生を託されたのが、現社長の岡田賛三さまでした。7年前のことです。元々、流通業(ホームセンター)の経営者で、引退後の生活を楽しもうとしていた矢先です。地元の伝統産業の火を守らねばということで、「火中の栗」を拾われた訳です。この「火中の栗」が、再生の方向に弾けたのは、「素人発想と匠の技の融合」からでした。この「素人発想と匠の技の融合」は、重要なキーワードですね。
■「節のある高級家具」
岡田社長が、素晴らしい素人発想を発揮されたのが、「節のある高級家具」でした。岡田社長が工場を回ると、一見、何の問題もない家具が「不良品」として燃料となっていました。
「どうして?」と聞くと、「節が出てきたから」という返事です。
“もったいない。節があっても高級家具として売れたら、随分無駄がなくなるのになあ”
それまでの「節があるものは売れない」と思い込んでいた業界慣習を“疑った”ということです。本当「節があるものは売れない」ではなかったのです。「節があるものは売らない」と思い込んでいただけで、本当は「売れるもの=買いたいもの」だったのです。今では、節のある家具は全売上の25%を占めているそうです。
しかし、もしも臥龍が飛騨産業のコンサルティング担当であれば、同様に「節の見える家具」を売りに出していたと思います。何故、そう言い切れるかというと、臥龍の創業直後(今から約20年前)の顧問先に家具メーカーがあり、その会社では「節を前に出した家具」が売り物だったからです。
ウッドハウスコッド様はコチラ
臥龍は、「節の前に出した家具はいいよ!」と後押ししました。何故なら、臥龍のコンサルティングの「心の師匠」のお一人が、宮大工の西岡常一翁ですが、翁の本を読んだときに、「節とは木の呼吸口、呼吸口を前に出さないと寿命が縮む」ことを知ったからです。
翁の言葉です。「飛鳥、白鳳、天平ぐらいまでの建築はみな正直に守られてます。室町に入ってくると今度は無地が上等になって、南に生えてた木はどうしても節が多いでっさかい、それを見えんとこへ、裏のほうに回せと、そういうふうになっていきます。古代建築は正直に守られている、そやから千三百年のいのちがあるんやと思いますよ。室町以降の建築は五、六百年で解体修理せななりませんわな。飛鳥建築は千三百年ぐらいは大丈夫です、解体せんでもね。自然に生えたまま、方位のままに使ってあるからです」
臥龍は、“そうか、節が見えた家具の方が、木が喜んでいるんだ。木が喜んだ家具に囲まれている方が、人も気持ちがいいはずだ”と考え、「節を前に出した家具」を推奨したのです。
では、20年前に臥龍が飛騨産業さんに出会ったいれば、「節のある家具」が生まれたかというとそうではありません。
1.困り抜いていないと慣習を変える「本気」が生まれない。
2.今だからこそ消費者も、「節が見える=自然でいい、エコでいい」と受け入れる気風が高まってきた。
まさに、「出会いはタイミング」です。
「人間は一生のうち、逢うべき人には必ず逢える。 しかも一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」(森信三先生の言葉)
岡田社長と節のある“不良品(隠れた宝の山)”との出会いも、まさに絶妙の出会いだったのでしょうね。臥龍には、生かされ歓喜している「節のある家具」の喜びが伝わってきました。
■「素朴な疑問」は、打ち出の小槌
岡田社長の素晴らしい素人発想が発揮されたのは、「杉の活用」でした。杉は家具に加工するのは表面が柔らか過ぎるということで、建材目的で植林されました。ところが安い外国材が入ってくると、採算に合わないということで放置され、荒れるがままになったそうです。
「手入れをされない杉が、懸命に子孫を遺そうとしているのが杉花粉」、「クマの棲めなくなった森はもう森ではない」という岡田社長のお言葉は、まるで自然の叫びの代弁者のようでした。
岡田社長は、“飛騨の企業なのに、何故、材料は外材だけなの?”と思ったそうです。業界の思い込みは、「杉は家具材ではない」でした。岡田社長の素人発想は、“では硬くできれば、杉も活かせるではないか?”でした。
結論としては、杉を硬くする技術は、飛騨産業の社内にあったのです。
織田信長という武将は、鉄砲は造れませんが、鉄砲がどう活かせるかは熟知していました。「素朴な疑問」は、本当に打ち出の小槌ですね。
Q.貴社内には、素朴な疑問の種は、内在していませんか?
いま一度、社内や工場や顧客先を巡回してみてください。
■「匠」にはいわれがある
臥龍は今回、「飛弾の匠」のいわれを知りました。古代から飛弾は免税地とされ、その代わりに、毎年100人の匠が都や寺社仏閣の建築に徴用されたそうです。この習わしは400年の永きに渡り、匠の技は研鑽・伝承されると共に、奈良(平城京)や京都(平安京)の都文化とのつながりが深くなったそうです。
飛騨産業では、その匠の技の中から、1920年に曲げ木の技術=木を曲げて曲面を造る技術が育まれ、西洋家具を作り、都会や海外に販売という急成長期が生まれました。「節のある家具」においても、「節があっても曲げ木ができる温度調節」が匠から生まれ、「杉の硬化」においても、100トンの圧で体積を50~70%にまで圧縮する技術が匠から生まれましたが、全て原点は「曲げ木の技術」でした。
それと流石に岡田社長は流通業のご出身です。「杉」の持つ安物イメージを払拭するマーケティング戦略も打っていきます。イタリアの高名なデザイナーであるエンツォ・マーリ氏の起用や表参道のお店での発信などです。
飛騨産業を紹介しているNHK番組の中で、「老舗」の要素は「知名度、定番品、いい材料、職人の腕」だと述べられていました。しかし新しい「定番品」を生み出すには、大きな勇気が要ります。「節がある」というのが販売先からのクレームだった時代に、ご自身の判断を信じて押し切った岡田社長の信念なくして、老舗の復活は有り得ませんでした。
飛騨産業の中に、伝統産業、地場産業、老舗の再生セオリーを見た臥龍でした。地場産業を守り、環境も守る、その上で、11年目の黒字を計上された岡田社長の「利益は大事だがその利益を出す中身がより大事」は、APRAの精神そのものでした。
岡田社長に質問が出ました。
「(10年赤字で、しかも現場はやや3K寄りですが)新卒採用はいかがですか?」
「地場産業を守り、環境も守るという、飛騨産業の利益を出す中身に共感いただいた大学生が全国から100名以上、応募されてきます。その中から選りすぐりの10名を採用しています」
まさに「ロマンとソロバン」です。
そして日本の若者も捨てたものではないなあと思いました。そしてAPRAも、一層「広報」が大事だと思いました。なおソロバンの裏付けとして、「トヨタ生産方式」の導入による「無駄取り、多品種少量生産への転換」があったことも、最後に付記しておきます。
●高山市内散策
飛騨産業様を後にした私たちは高山市内の散策に向かいました。物静かで歴史と暖かみを感じる街でした。
●高山グリーンホテルでの懇親会
高山グリーンホテルの懇親会ではサプライズな「おもてなし」が待っていました。中部APRAメンバーでもある株式会社アソシエード第一 代表取締役 吉川秋芳様と吉川さんの知人の株式会社OKUTA 代表取締役社長 山本拓己様及び地元高山の勇士によるJAZZ演奏です。
株式会社アソシエード第一様はコチラ
株式会社OKUTA様はコチラ
続いて、飛騨産業の岡田社長による「めでた」の熱唱でした。
飛騨高山では現在も厳格に守られている酒宴のしきたりに「めでた」が出るまでは、席を立って、酒を注ぎに行っては行けない、ということがあるそうです。これには、①料理をしっかりいただいて、悪酔いを避ける。②料理を作って下さった方に感謝する。③座席の両側の方が知らない方でもちゃんと交流を持つ。④宴席といえども目上の方などに失礼のないようにする。といった意味があるそうです。もっともAPRAの懇親会では全く守られませんでしたが・・・。
吉川さんや山本さんの演奏をバックに大盛り上がりのステージ。左の写真は超豪華メンバーです。左より臥龍、井上富紀子様、岡田賛三様、一人おいて政井忠彦様。
臥龍の感想を以下に抜粋して引用します。
●自分の技を持つ人っていいな!
年に一度のAPRAの交流会が、感動の津波のように過ぎていきました。31日の夜は、高山グリーンホテルでの懇親会でした。
飛騨産業の岡田賛三社長にもご参加いただきましたが、飛騨高山では宴席のスタートで「めでた」という歌を歌うことを初めて知りました。歌っていただいた岡田社長の美声に感激です。
また吉川秋芳さんや山本拓己さんによるジャズ演奏も素敵でした。こういう自分の技で、人を楽しませれる人を見ると感動しますね。しかし山本拓己さんは、知る人ぞ知る超多忙人です。埼玉からわざわざこの演奏のために来ていただき、臥龍は超・感激でした。
山本社長のブログはコチラ
歌によって、日台APRAメンバーが一体になれたように思います。
■2008.11.01 APRA会議~コンサート
11月1日は高山の朝一を見学後、紅葉の美しい山並みを車窓に見て、一路松本へ。松本では「割烹松本館」で昼食をいただ板後、APRA国際会議、続いてコンサート。そして再見パーティと充実した一日でした。
●登録有形文化財 割烹松本館
創業明治23年、文化庁の登録有形文化財でもある「割烹松本館」は昭和初期の格調高い料亭の「しめやかさ」と「荘重さ」そしてとても美味しい日本料理を味わうことができました。
料亭松本館はコチラ
●APRA国際会議
食事の後、席を移し、いよいよ国際会議の開催です。開催の冒頭にAPRAがお手伝いしている「感動の街サミット in 松本」でお世話になりました菅谷昭松本市長から、歓迎のお言葉をいただきました。
国際会議日本APRAと台湾APRAから、ここ一年の活動報告をしました。
その後、今後の活動指針について角田議長より発表がありました。
以下に当日の臥龍のメルマガより引用します。
■「選択できる旗を立てる」
臥龍は、17年前に台湾に行って、資本主義にも「拝金主義」寄りと「人本主義」寄りがあることを知りました。それが、臥龍のコンサルティングの心の師「後藤新平先生」が紹介されていた、次の言葉です。
「財を遺すは下
事業を遺すは中
人を遺すは上
されど、財なくんば事業保ち難し
事業なくんば人育ち難し」
「拝金主義」の旗は目立っています。
その旗に引かれ、法に触れないかぎり(正確には、捕まりさえしなければ)、手段を問わず金持ちになればいいんだという風潮が生まれてきました。これから会社を興す人、現役の経営者や後継者、あるいは子供たちに対して、「選択できるもう一つの旗」としての「人本主義」の旗を立てる必要があります。
臥龍は、小学校では、マネーゲームを教えるよりも先にやることがあるだろうと思います。
「小学校では、マネーゲームを憶えさせる前に、先に“志授業”だろう!」(臥龍)
2020年ビジョンを考える指針として、お話したことは一つです。
「人本主義の旗を掲げるAPRAが、 日本と台湾において、 産業界には大きな影響力を 子供たちには大きな夢を与えるメジャーな経済団体になっていること」
メジャークラス入りの目安としては、APRAファミリーの年商合計がGDPの1%に相当する線かと思っています。日本の場合としては、約5兆円です。約5兆円の姿がイメージできれば実現します。
●コンサート
国際会議の後は、コンサート会場へ移動しました。本日のコンサートは「感動の街」キャンペーンソングの作詞・作曲者である「美咲さん」、130回以上も刑務所・少年院を訪ね、プリズン・コンサートをつづける女性デュオ「Paix2(ぺぺ)さん」、地元松本のゴスペルグループ「布野えいじ&ラブボイスさん」のコラボレーションです。素晴らしい歌詞とメロディ、歌声にAPRAメンバー全員が感動しました。

美咲さん

Paix2(ぺぺ)さん

布野えいじ&ラブボイスさん


みんなノリノリです。
●再見パーティ
またまた場所を移動して、いよいろ国際交流会のフィナーレ「再見パーティ」です。今年の交流会への参加とおもてなしにお互いが感謝し、また「来年会いましょう」というパーティです。日本と台湾という民族も政治も言葉も文化も違いますが、「アジアに生まれて良かった~」と一体になれるとても素敵なひとときです。どんなに忙しくてもこの時間のために日程をやりくりして参加されるメンバーもいます。
当日の臥龍の感想を以下に抜粋して引用します。
●「再見パーティ」
更に席を移して、「再見パーティ=さよならパーティ」の開催でした。本日、4度目の席替えです。
松本のAPRAファミリー、貴祥庵の植田支配人と勝麟太郎こと平林さんも駆けつけてくださいました。そしてパイプ屋山崎さんは、臥龍から破門になるリスクを負いながら(笑)、「サムライの寸劇」で楽しませてくれました。
山崎さんのブログはコチラ
美咲は、昨年4月の台湾体験から生まれた「愛の種」という曲を、改めて披露してくれました。美咲いわく、「これは台湾APRAのテーマソングと勝手に思っています(笑)」でもいい曲です。
臥龍の議長挨拶は、以下の言葉が要旨でした。
Q.あなたは、社長の仕事とは何だと思われますか?
「APRAファミリースピリッツ
APRAは一つの家族
社長が変われば社員が変わる
社員が変われば家庭が変わる
大人が変われば子供が変わる
子供が変われば未来が変わる
社長の仕事は未来を変えること
議長の仕事は社長を変えること」
今回のAPRA国際交流会のテーマは、結果として、「もの造りルネッサンス」と「芸能ルネッサンス」、並びに「教育ルネッサンス」でしたね。APRA2020年ビジョンの実現に向けて、臥龍自身の本気も問われてくると思います。楽しく本気で顔晴りたいと思います。
■2008.11.02 松本市内観光~成田空港
いよいよ11月2日は最終日です。松本城を観光した後、台湾メンバーは成田空港から台湾へ。
●国宝松本城
右端で陣羽織を着ているのは「感動の街サミット in 松本」で大変お世話になった小穴様。現在、松本城城代家老(?)のポジションで松本城に来られた観光客の皆様に少しでも「感動」して戴こうと努力をされています。
当日の臥龍の感想を以下に抜粋して引用します。
最終日の11月2日は、松本の「国宝・松本城」の見学でした。松本市の小穴定利所長自ら、陣羽織の羽織っての分かりやすい説明に、台湾メンバーも大満足の様子でした。またこの日は抜けるような快晴ですから、城をバックにした写真撮影も本当に映えるものでした。
■いにしえの技術力に驚嘆
いにしえの建築技術の凄さを感じます。
松本城の建築について
松本市の小穴定利所長自ら、陣羽織の羽織っての分かりやすい説明に、台湾メンバーも大満足の様子でした。
Q.松本城の天守閣の重さは何トンだと思われますか?
何と約1000トン!、です。
それを16本の約5mの栂の柱を天守台の中に埋めこみ支えていたそうです。しかも支えるだけでなく、震度7の地震にもびくともしないそうです。しかも建てた場所は、軟弱地盤です。松本城は平城のため、三重の堀をめぐらし、防備を固めています。それ故の軟弱地盤です。
石垣の組み方にも工夫があります。松の丸太を堀の底にいかだのように敷き詰めて、枕木を置いて、その上に石垣を積み上げています。石垣が沈まない工夫です。
■人間の価値観って不易?変易?
何ともお金には換えがたいような「技術の伝承殿」です。ところが驚いたことに、一度民間人が買っているのです。
Q.幾らで、売りに出されたでしょうか?
ヒント、あなたでも買えるお値段です。
答えは400万です。
が、実際は買うと「維持費」が莫大でしょうね。松本城天守は、235両で、明治5年1月付けの競売で落札されています。落札者は笹部六左衛門という人で、現在の米価で換算して約400万円ということです。その後、無事松本市民が買い戻したと聞いていますが、一歩間違えば解体の危機もあったのです。いま「国宝」を壊すといえば、「何をバカなことを!」と大騒ぎでしょうね。
人間の価値観とは、結構怪しいものです。
トキが群れを成して飛んでいたらどうでしょうか?これは皮肉ではありません。いま北極クマが同じ運命を辿ろうとしています。
後、台湾メンバーが驚嘆したのは「菊花展」、中でも「菊の花の盆栽」でした。
「木の盆栽は分かるけど、菊の花で盆栽とは!」
実は臥龍も初めてで、「菊の花の盆栽」に日本人の感性の素晴らしさを感じ、しばし見入ってしまいました。
菊盆栽について
小さき中に宇宙を感じる心、これほど広大なものがあるでしょうか?
その後、一気に新宿まで移動し、しばしの散策の後、成田空港に移動しました。今回の交流会の大部分が、自然豊かな行路でしたので、新宿のコンクリートのビル街とのコントラストが強烈でした。
“大都会って、何が豊かなんだろう?”
成田空港で、台湾メンバーとの名残を惜しみつつ見送り、「豊かな人間関係ある人生」の幸福も感じました。
Q.あなたは、何が「豊か」ですか?
Q.あなたは、今後、どのような「豊かさ」を求めますか?
10月29日から11月2日まで、とても楽しく素敵な日々でした。その間の参加者のの事業活動は「休止」です。また、APRAへの参加は基本的に自腹ですから、掛かった費用も莫迦にはなりません。ですが、毎年たくさんの方が参加されます。それは何故でしょう?参加された方、一人ひとり感じ方が違うと思いますが、やはり「経営が楽しくなる」からでは無いでしょうか?
経営者が経営を義務でやっていては、従業員も仕事を義務でやらざるを得ません。義務の中に創造性は産まれにくいでしょう。
最近、我が社は「ちょっと暗いな~」、もっと「創造力を発揮させたいな~」、「楽しく利益を出したいよな」と思われている経営者の方。その答えはきっとAPRAの中にあります。是非、各地のAPRA活動をのぞいて見て下さい。
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