素晴らしき経営研究会 「みんなで夢の種をまこう」
2008.03.27 ハートピア京都
ハートピア京都で行われた「素晴らしき経営研究会」3月例会に行き、株式会社いろどり副社長の横石知二様より、高齢化と過疎化が進む田舎町である徳島県上勝町で起こった感動のサクセスストーリーを伺いました。
「世界中探したってこんな楽しい仕事ないですよ」
この言葉は売上高2億6,000万円のビジネスを支える70代、80代の上勝町のおばあちゃんが語った言葉です。
1979年、農協の営農指導員として上勝町に勤務した横石様は町民の大反発を買いながらも、過疎の町を何とかしようと努力を始められます。当時の上勝町は人の批判が日常茶飯事、女性の出番が無い、自分の子供に「勉強せんかったら、ずっとこの町におることになるよ」と言っているような町でした。
ところが、横石様の公私の区別無い必死の思いと行動に徐々に町民も心を動かされ、年収1000万円以上のおばあさんを何人も生み出す町となりました。
商品は木の葉や花など、どこの山村にもある資源です。この何処にもある資源を商品化する「葉っぱビジネス」が年商2億6,000万円の売上を上げ、全国シェア7割を占めるようになりました。事業に関わる生産者は平均年齢70歳、190名も参加されています。


上勝町は人口2,035人、高齢者が48.7%を占め、寝たきりの人が少なく、一人あたりの医療費は県内一少なく、老人ホームもとうとう撤退しました。
元気に働く老人は病気になりにくいので、保護が必要なくなりました。老人が働く事で収入が上がり、病気にならないので医療費が掛からない。上で儲けて下が使わないから、お金が出ていきません。
また、地域資源を活用した第三セクターが町内に5社もあります。ゴミは34種類も分別され、リサイクル率は80%。ゴミ収集は無い、焼却場も無い!なんと2,020年にはゴミゼロを目指されています。税金を廃棄物に使うのは勿体ないという発想です。間伐材を地域燃料にすることで700万円も削減できました。このように上勝町は環境を経済に結びつけることに成功しました。
「葉っぱのビジネス」は今でこそ「コロンブスの卵」のように見えますが、産みの苦しみは相当のものでした。
横石様は「高齢者の多いこの町で女性の仕事は無いものか?」と探されておりましたが、ある日大阪の居酒屋で「ツマ」として出された紅葉を若い女性が綺麗なハンカチに包んで持ち帰る姿を見て、「葉っぱを売ろう!都市部と上勝町の違いは環境だ!」と気づかれたそうです。
早速戻って上勝町の方々に声を掛けてみましたが、「こんなものが売れるはずが無い」「私だってプライドがある。落ちてるものを売りたくない」「恥ずかしい」といった批判的な意見ばかりでした。しかし、必死の思いで説得し、何とか4名で事業をスタートさせることができました。
スタートした事業ですが、早速暗礁に乗り上げます。山の葉っぱをそのままパックして出荷したのですが、全く売れません。料理の現場を知らないことが原因でした。
そこで、横石様は料亭を訪れ、どんな葉っぱが必要かを訪ねて回ったのですが、どこも手の内を明かしてくれません。何度も裏口で断られる毎日です。そんな中、客として玄関から入ると教えてくれるかも?と思い、なけなしのお金を持たれて、客として料亭に向かわれました。案の定、全く違う扱いで、いろんな事を教えてくれ、現場に大きなヒントがありました。
しかし、料亭です。情報を集めようにもお金が掛かります。お金に苦悩される横石様を見て、奥様が「何とかしてあげるから好きにしなさい」という申し出をされました。この瞬間に今の上勝町の再生がスタートしたと言っても過言ではないと思います。
業務案内のパンフレットを持って、夜は料亭、朝は市場へ飛び回る横石様。絶対に何とかやってみせる。何が何でもやり切る、という決意で全国へ売り込みをされました。
また、おばあちゃんと一緒にいろんなお店へ行かれました。ジャージやもんぺを着たおばあちゃんが高級料亭をベンチマーキングです。このベンチマーキングによって、おばあちゃんは「自分達の葉っぱビジネスの価値」を知ることになりました。価値を知ったおばあちゃんは「経験をしたことが無い驚き」を覚え、「すごいところを発見」し、それによって「やってみよう」という行動が生まれました。
そうして、料理人が上勝町を訪れることが増え、それに伴い生産者も増えていったわけです。
横石様は「商売は仕組み」と言われます。受注が入ると町の防災無線を使ったFAX送信を行います。以前は町内放送でした。うるさいという苦情がありましたので、電話回線によるFAXにしましたが、それですと最初に受け取った人と最後に受け取った人にタイムラグが生じ、不公平と言うことで今では無線FAXを使われています。注文へ答えることができる人が手を挙げる仕組みは無線FAXによって確立されました。
また高齢者専用パソコンも開発されました。使う人の能力が無くても何とかなりました。マウスを使わずにトラックボールを使うように工夫されました。町の86%が光回線です。このようなハードやインフラの整備もありますが、一番の成果は「個人別販売実績」を見えるようにされたことです。販売成績が出ることで80歳のおばあちゃんが「あの人に負けたくない」「やったことが実感として返ってくる」ことからパソコンを使うようになったのです。このことから横石様はキーボードを「気ーボード」と表現され、「気を動かす」ことで「人はその気になる」と言われました。

上勝町ではバッテリーカーが出荷運搬車となっています。自分が何かをやり遂げる、やりきる気になるとおばあちゃんの生活全てが変わってきました。
「人はだれでも主役になれます」
横石様はこの言葉が大好きとのことです。ずっと出番のなかった上勝町の人達が自分の居場所を見つけてがんばっていらっしゃいます。先日、もみじの種を播くおばちゃんが語った言葉で「ほりゃ~生きとる間には採れんかもわからんけど。これは私の夢を播っきょんじぁ・・、何歳までできるか、そして子や孫が継いでくれることと信じて」と言われたそうです。
上勝町のおばあちゃんは後継者への夢を託し今日も元気にがんばっていらっしゃいます。この町に生まれた全ての人が「ほんまに上勝に生まれてよかった」と言える町になりました。

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